GLAlog-014/謹賀新年2019
更新日:2020年3月1日
GLAなみなさま。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
本年も何卒よろしくお願いいたします。

↑めでたづくしリース
GLAlog-013は真面目路線から一変、食リポで締めくくってみたのですがいかがだったでしょうか。
だめでしたかね?
先日、GLAファンの方からゲントさんのインスタ建物ばっかりですよねと若干つまらないことをほのめかされたかのようにお話しされてしまいました。
ぐむむ。。。
真面目に建築のリポートに努めていこうと思っておりましたが
やはり、そこまで建築好きじゃない方には押しつけがましい内容となっていたわけですね。
ということで、本年は少し心に余裕を持ちながら、建築以外のお話もしてゆけたらと思っております。
何があるだろう。。。
とりあえずおいしいものは引き続きリポートします笑
てことで今年の初詣ではこちら。
人ごみの大嫌いなゲントさんは神宮ではなく
札幌ファクトリーにほど近い「マーシュ亭」へ。
なんと、元旦からやっている。。。
たまたま通りかかったのですが、食に飢えていたので
躊躇なく入ってしまいました。
確かにずっと気になっているお店ではありました。
洋食屋さんて、ありそうでもなかなか近くにありません。
一種の憧れというか、幻想のようなものがあります。
そんな思いでなだれ込みました。
店内はとても雰囲気が良く、お客さんは紳士がカウンターに一人。
よしよし、なんともちょうど良い雰囲気。
元旦のだらけた雰囲気に少しだけの緊張感。
メニューをひとしきり見て、悩んだあげく
ポークカツレツに決めました。
友人と他愛ない話で時間を潰していると
出てきました。
すごいビジュアルです。

この肉の断面の美しさ。
この肉の厚み。
そしてこのように盛り付けるシェフのセンス。
絶妙な火の通り加減。。。
たまりません。
早速、食すると。。。
HEAVEN。。。
絶頂です。
無言でひたすらこの幸せを噛みしめながら
うなづくように、ただただ、静かにいただきました。
ここはぜひ食す価値があるかと思います。
そんな、建築とは無縁の正月。
ただ、脳裏では常に今年の方策やら作るべきものなんかが、せわしなく往来しています。
なかなか、「無」になろうと思ってもそうはいかないものですね。
ただただ、この肉のおかげでやる気は出てきました。
次回はカレーもチャレンジしたいところです。
さて、早速脱線しましたが
正月なのでなにかおめでたい話でもしたいところですね。
。。。。。。
だめだ。自分で振ってみたもののハードルが高い。
そんなめでたい話などそうあるわけはありません。
ただ、昨年末、伊藤千織さんの正月リース(めでたづくし)と合わせるように買った木製の鏡餅を設えることに喜びを感じておりました。これも5年越しくらいで手に入れたものです。
住宅ができるということは、こういうものをひとつひとつこだわることができるということでもあります。
こちらも、澪工房さんで仕入れたもの。
図学的にまずとても美しい。
質感もとても美しい。
本物の餅よりもよっぽどいい。



やはり幾何学的に美しい。
何とも言えませんね。
できれば建築家として肉同様、断面が見たいところです。
餅が食べれない正月だとしても、僕はこれで満足です。
ついつい熱を帯びてしまいましたか。。。
また、今年はすこし食器が賑やかになりました。
今年は結局ひとりで家を守っていたので、
たいしたご馳走にありつけなかったのですが
それでもこの子たちがひもじい食卓を彩ってくれます。

これまた、澪工房さんで知り合った陶芸家親子の作品。
福岡の糸島市で作陶をされる莫窯・上原治夫氏。
そして、京都にて活躍のその御子息の店舗、今宵堂さん。
これをみるだけで十分楽しめる。
自分で作ったおいしくない料理もおいしく見える。
不思議なものです。
けれど、これが器の持つ魅力なのです。
そして、僕にはこの上原さんからちょっと早いお年玉を頂くことができたのです。
昨年末ですが、賞をいただいたことを耳にされて不意に送られてきたのです。

そう、この花器です。
かねてからその存在を目にし、欲しいと心の中で嘆願しておりましたが
いや、まだ自分には早い、贅沢だ、などと言い聞かせて我慢しておりました。
そして、常時作っているわけではない代物です。。。
それが無造作にくるまれた段ボールから現れたのです。
お。お。お。お。お。お。お。お。。。。。。
こ、これは。
早速、電話でお礼を申し上げると、
窯に転がってたので、お好きだと思い、あなたなら大切にしていただけると思って贈らせていただきました。
とのこと。
こんなサプライズはあまりにも経験なく、しばらく高揚してしまいました。
末代まで大切にすることを胸に誓いました。
氏の作品との出会いは7-8年前位の事ですが、ある一客の器にどうも魅せられてしまったのです。自分も作家の端くれですし、それなりに造形にも携わっているので正直うるさい方です。しかし、一瞬でその器のたたずまいが凄いことを肌で感じ取ってしまいました。
簡単に解説すると
「素」なんです。見過ごすかのようなさりげなさ。
でもひっかかる。見過ごすなと言わんばかりに。
形、釉薬、そのバランス、無骨ながら繊細なというべきか。
そして、使うにつれ味わいがまとわり、それは相当の名器だと僕は思っています。
よくよく考えると、これって僕の目指す到達点?