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  • 執筆者の写真 GLA

GLAlog-025/東山魁夷と谷口吉生01

更新日:2020年3月1日

GLAファンの皆様、こんばんは。

なんと、1ヶ月以上もブログを放置してしまいました。。。

いやですね、それは、その、あの。。。


1ヶ月の間、南国に行ってたわけではないんですよ。


もうそれはそれは、一人の限界を感じる一ヶ月だったわけですよ。

目の前の仕事に翻弄されてしまって。。。


すみません、言い訳です。


しかしながら、GLAとしては充実しているわけです。

ネタもたくさんできていますので。

プロジェクトも大分動き始めてまいりました。


で、ですね。

本題なんですが、

わたしも、最近うっすらと気づいていたのですが、

このGLAlog毎度、話が長いですよね。。。

終わったと思いきや、もう一話始まる的なね。。。


てことで、もう少し、短編として

話を分割することにいたしました。

すると、どうでしょう!

私のブログに向かう姿勢も変化し、素敵なことになるのでは!

と期待している次第でございます。

根が真面目なものですから、どうしても

【ブログを読んでいただく】

=何か有用な情報を載せたい!

=GLAの建築への想いを伝えたい!

などと考えてしまい、構成考え、執筆に時間がかかるので後回し。。。

となりがちだったわけですが、


今回からは違う、違うんです!

更新頻度を上げる!!!

このように思う次第です。






では、本日はそろそろこの辺で。。。

短編なのでご容赦ください。







。。。。。。




さすがに、それはないですよね(謝)

すみません。



てことでそろそろ本題に入ります。

今回は、ちょっと前に北海道近代美術館にて開催されていた

東山魁夷の「唐招提寺御影堂障壁画展」

のリポートと、日本建築「唐招提寺」や

日本に2つある「東山魁夷美術館」や

それらの設計を司った

巨匠建築家「谷口吉生」氏の作品に言及できればと思っております。


まず、日本において絶大な人気を誇る東山魁夷。

透明感のある凛とした抽象風景画を多く残した作家ですよね。

この作風が好きな方も多いかと思います。

僕もその一人でして、

自宅の玄関にも一枚複製の物を飾っております。


実はそもそも、

氏の作品をよく知っていたわけではなかったのですが

学生時代、建築行脚として、谷口吉生氏の作品が好きだったものですから

香川の県立東山魁夷せとうち美術館を訪れたわけです。


まずは建築があまりに美しいので息をのんで

しばしその佇まいを眺めます。

いや、もはや真剣勝負なので眺めるどころではなく凝視です。

きっと眉間にしわが寄っていたかもしれません。


そんな建築の外観と対峙した後に

入場料を支払って中へと歩みを進めます。

まだ、エントランスをにらみながら進んでいるのですが

そこにふと、東山魁夷の作品が並べられているのに気づきます。

そう、絵を見に来たわけではないのです。。。(笑)


しかし、一瞬にして絵の存在感に引っ張られてしまう。

ただならぬ引力を持っていました。


「これは・・・ただごとではない。」


その画力は当然ながら半端なく、ぐいぐいと私を引きずり込みます。


【まて、俺は谷口吉生と対峙しに来たのだ。】


そう思いながらも、しかし

絵画と建築があまりにも拮抗していて、

あっち見てこっち見て絵画をみて、

大変にアドレナリンが放出している時間を過ごすこととなったのです。


そんな鮮烈な出会いから

かれこれ15年以上たって、現在に至るわけですが

なんと、氏の代表作でもある

奈良にある唐招提寺の障壁画が来るというではありませんか。

さすがに、僕も実物を見たことがないわけで

一年ほど前から非常に楽しみにしておりました。


仕事の合間を縫ってようやく楽しみにしてた

展覧会に足を運ぶことができたわけですが

結論から申し上げて、その感動は非常に大きかった。。。


障壁画ですから、襖に絵が描かれているのですね。


襖というものは、そもそも日本建築を構成する一部ですが

その概念を大きくぶち壊してくれるような作品でした。


日本建築では障壁画は古くから装飾の一部として

積極的に採り入れられ進化をしてきました。

みなさまも、その美しさに息をのむような経験をしたことがあると思います。


しかし、東山魁夷のそれは、スケールが違いました。

もはや、襖がありながらその襖という存在をぬぐい去り、

建築の一部というよりも

建築に景色を強引に呼び寄せたかのような錯覚を覚えさせます。

端正に端正に描かれた筆致がその、抽象的な作風と相まって

リアルとアンリアルを行き来するような

そこに襖がありながらに、気が遠くなるような不思議な感覚へと誘うのです。


もはや圧倒されてしまい

建築内部ということや絵であるということを、

意識の外へ滅失させる凄みがそこにはありました。


建築設計においては、スケールの操作ということを積極に考えるわけですが

その巨大な障壁画はまさに、建築家の手ではなく

東山魁夷という画家のスケール操作によって、

建築家である僕でさえも、たやすく翻弄されてしまったのです。


現代アートの世界ではまま、スケールを駆使した構成により

見るものをもてあそぶ世界観もあります。


しかしながら、氏はただの平面で、唐招提寺の内部にて行ったのですから

この方の桁外れな世界観にただただ脱帽してしまうわけです。


つまり、今回の展示では

「建築と絵画の関係性」について随分と考えさせられたわけです。

このスケールになると、絵は建築を構成する一部になりうるのだと。


西洋の画家にも同じようなことを考えさせる方がいました。

名は忘れてしまいましたが、

室内の壁をキャンバスとして、

壁面に壁を描くということにチャレンジしていました。

ひたすら、白い油絵の具で

色褪せたペンキのような質感を与えてゆくのです。

それはもはや絵なのか、建築なのか。。。

非常に興味深く見た記憶があります。

ふと、そのことを久々に彷彿させられましたが

壁紙で彩るのとはまた別格のインテリアとなるわけです。


これらの壁画は11年の歳月を費やし、日本並びに中国の各地を歩いて

スケッチを重ね幾度となく構成を練っていたのです。

精緻な下図も展示されており、ここまで精密に構成を練っていたのか

とうなるほどの物でした。


まさに「鑑真和上にささげた祈りの美」。

″ 引用元 https://yokanavi.com/event/61492/


ため息が出るほど美しいですね。。。


これ以上書くと長くなってしましますので

また次回の続編をお楽しみにしてください!

このネタだけで5話くらいになりそう。。。ですね(笑)



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